「九マイルは遠すぎる。まして雨の中ならなおさらだ」

 そう言って英文学・ニッキイ・ウエルト教授は事件を解決した。

 人はそこまでどれくらい掛かるのかと訊かれると、ふつうは「十マイルくらいかな?、とか、二時間くらい掛かるだろう、とか答えるものだ。九マイルと云うのは本人が歩いた距離に違いないからだ。しかも、これから向かうのではなく、こちらに向かって歩いてきたから正確に距離が分かったのだ。しかも、雨の中だ」

 また歩く理由もあると教授はいうのである。
 「その時間は電車もバスもない。つまり歩かなければならない。終電が終わって始発が始まるまで。深夜一時から五時のあいだに歩く理由があったのだ」
そう言って殺人事件を解決したのである。

 日本の競馬に「マイルチャンピオンシップ」というG1レースがある。1マイルのスピードを競うレースである。1マイルとは1600㍍だ。9マイルはかなり遠い。1万4400㍍も歩くことになる。教授はこれで事件を解決したのである。場所はニューヨーク郊外の小さな町フェアーフィールド。森に囲まれた静かな町である。

 本当に小さな町だった。というのも、わたしはこの町に行ったことがあるのである。実は娘がここの大学に留学していた。娘の生活が心配になり、数年前に会いに行ったのだ。

 ニューヨーク中央駅でラウンドチケット(往復切符)を買って鈍行列車でフェアーフィールドに向かった。ここは特急列車は止まらない。およそ2時間半で着く。終点まで乗るとボストンだ。

 駅に着くとタクシーは1台だけ止まっていた(御坊駅でも2、3台は止まっているのだが)。乗り込みフェアーフィールド大学まで行ってくれと云うと、運転手は、どうして大学へ行くのかと尋ねてきた。

 「娘が留学しているんだ。様子を見に日本からやってきた」

 「それはそれはご苦労なことだ。俺も一人娘がいるが、男の子と違って女の子は大変だな。親は心配ばかりだ。日本からだとどれくらいかかるんだ?」

 「ニューヨークまで13時間かな」

 「まいったね。そんなに日本って遠いんだ」

 そういって運転手は目を丸くしていた。

 降りるとき、楽しく会話できたのでメーターの金額より少し多めにチップを含めて渡した。すると、

 「これは、貰い過ぎだよお客さん。半分返すから」

 そう言ってチップを半分返してきた。なんとも人のいい運転手であった。そんなのどかな町に殺人事件が起こったのである。

 「金曜日ラビは寝坊した」等のラビシリーズで知られるケメルマンの処女短編集の1編。純粋な推理だけを頼りに論理を構築し事件を解決していく手法は、本格ミステリーならではのものである。ミステリーファンには堪らない一冊だと思われる。(秀)