北朝鮮による日本人拉致被害者の一人、横田めぐみさんの弟で、被害者家族らでつくる「家族会」代表の拓也さんが17日、御坊市民文化会館で日高高校の生徒らに講演。姉を失った当時の家族の悲しみ、北朝鮮の行為や対応を批判し、「被害者の父母が生きているうちに会わせてほしい」と早期解決への願いを訴えた。

 横田さんは同校の第2回国際理解教育講座の講師として、「北朝鮮よ、姉めぐみを帰せ!」と題して講演。めぐみさんが拉致された1977年当時は9歳だった。

 拉致された日、中学校から帰って来ないめぐみさんを心配し、母と双子の弟とともに探したが見つからず、警察も大規模捜索を行ったものの、発見には至らなかった。

 「めぐみは例えるならひまわりのような女の子でいつも明るく、常に話題の中心にいました」。そんなめぐみさんを失い、家庭の様子は一変した。常に淀んだ空気が流れ、会話はなくなった。父と母は横田さん兄弟の前ではめぐみさんのことに触れなかったが、父は風呂場で頭に湯を浴びせて涙を隠すように泣き、犬を飼って散歩と称して周辺の手がかりを探し続け、母は自身のしつけが厳しすぎたのだと責め、畳をかきむしって泣いていたという。

 それから約20年後、脱北工作員の証言で、めぐみさんの拉致が明らかになった。「めぐみは船の底の部屋に閉じ込められ『お母さん助けて、出して』と叫びながら、壁をかきむしり、爪の先は血で染まっていたそうです。こんなことは、大人でも耐えられない。それを13歳の女の子にするとは、本当に考えられない事件」と唇を噛み締めた。

 同年、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会が発足。「当時は『拉致疑惑』と呼ばれ、マスコミも変なことを言っている人たちのような扱いだった」と世間に受け入れられない日々を振り返った。家族会が国会に取り上げられる際、父滋さんは家族の反対を押し切って「横田めぐみ」の実名を公表。「父のこの英断が結果的に世論を動かすことになった」。

 2002年9月、金正日国防委員長は当時の小泉総理との首脳会談で、北朝鮮による拉致を認めた。めぐみさんについては死亡しているとし、2年後に骨壷が送られてきたが、DNA鑑定の結果、別の人の骨だった。また、北朝鮮は1993年に死亡としたが、のちに帰国した拉致被害者から1994年時点での生存が確認できた。「北朝鮮は13歳の少女を拉致した上に、偽の骨壷で日本国民を愚弄するまさに邪悪なテロ支援国家だ」と怒りをにじませ、「拉致とみられる行方不明者は870人以上で、日本以外でも起こっている。絶対に救い出さなければならない」と力を込めた。

 最後に、3年前に亡くなった父滋さんをはじめ、拉致被害者の父母の高齢化が進んでいることを述べ、「父母たちが生きて再会できなければ、晴れて解決とは言えない」と早期に全員の帰国を訴えた。生徒たちに向けては「皆さん、きょうの講演のことを多くの方に話してください。拉致被害を風化させないのは民意の力です」と呼びかけた。