特異な経験を詳細に語る蓮池さん

 美浜町、美浜町教育委員会主催の人権講演会が5日、松洋中学校体育館で開かれた。講師は新潟産業大学経済学部准教授で北朝鮮による拉致被害者の蓮池薫さん。「夢と絆」をテーマに、北朝鮮で24年間の暮らしを余儀なくされたという特異な経験を詳細に語り、約300人が耳を傾けた。北朝鮮の思惑についても述べ、今なお帰国が実現していない拉致被害者について「日本は諦めないと示すためにも世論の喚起が必要」と強く訴えた。

 蓮池さんは冒頭で「『24年も北朝鮮にいたら住めば都で、いいこともあったのではないか』などと質問されることがありますが、それは違う。我々は命以外の全てを奪われました」と強い口調で話し、拉致された当時のいきさつ、現地での生活や心境を詳細に説明した。

 1978年7月31日、交際相手の奥土祐木子さんと新潟県柏崎市の海岸へ夕日を見に行ったところ、「たばこの火を貸してください」と近づいてきた男たちに殴られ、縛られて袋詰めにされ、北朝鮮へ運ばれた。最初は「彼女はどうした、日本へ帰せ」と抗議したが、やがて生命の危険を感じるようになり、状況を把握するために朝鮮語を覚えることにした。祐木子さんとは引き離され、互いに「日本へ帰った」と思い込まされていたが、2年後に再会。家庭を持つことができた。

 生活していたのは山奥の「招待所」と呼ばれる建物で、一歩外へ出るにも常に監視がついていた。「家族に会いたい、抱き合いたい」と願う以前に、どれだけ心配していることか、とにかく自分が生きていることだけでも伝えられたらと強く思っていた。

 2002年、当時の小泉純一郎総理の北朝鮮訪問等によって帰国が実現した背景には、北朝鮮の経済危機がある。日本の支援を欲しており、それまで否定していた拉致を認めてでも国交を結びたいとの思惑が帰国に結びついた。だがその時には2人の子どもを残したままの帰国で、日本の両親らに会えた喜びを感じながらも「北朝鮮で子どもに何かあったら」との大きな不安に苦しんだという。

 そして現在、今も北朝鮮にいる拉致被害者について「トップが決断さえすれば帰国はできる。それには日本があらゆるカードを使い、独自の方法で交渉を続けること。そして『諦めない』という強い気持ちを表明し続けること」と訴えた。また、「拉致を行ったのは一部の人間で、一般の人もひとくくりにして北朝鮮を非難することはできない。ましてや在日朝鮮人へのヘイト的な行為は絶対に許されない」とも述べた。

 講演後の質疑応答では「私たちに何かできることはありますか」との声が上がり、蓮池さんは「家族会でも、被害者の親の立場の人はもう2人しかいない。この人たちが希望を持つためにも『日本は諦めない』という声、世論が必要です。今、政府は経過を明かしてくれませんが、取り戻す努力が続けられているということが何よりの薬になります」と話した。会場入口では、美浜町人権尊重推進委員会が人権を考える強調月間に合わせ啓発物品を配布した。