前回の本欄で、ベルリンの壁崩壊のきっかけを作った1989年の「汎ヨーロッパ・ピクニック」に触れた。その舞台のハンガリーについて最近よく報道されるので、もう少し詳しく紹介したい◆当時、東ドイツ市民は西ドイツへの亡命を望み、ハンガリーまでなら旅行許可を取れたので「ここからオーストリアへ国境を越えたい」と大勢が集まった。折りしもハンガリーでは国境の有刺鉄線が、維持費の財政圧迫を理由に撤去。ある夕食会で「鉄のカーテンによる分断からの解放を祝おう」と冗談が飛び出した。「国境で焚火をして、フェンスを囲んで食べ物を交換しよう」など盛り上がり、一人の女性がその冗談を実行に移すべく立ち上がった◆ネーメト首相らも加わり、東ドイツ市民を亡命させる「汎ヨーロッパ・ピクニック計画」は秘密裡に進行。1989年8月、国境の町ショプロンでそれは開かれた。名目は「ヨーロッパの将来を考える集会」。食べ物やビールが出され、人々はチロル民謡に合わせて踊った。そこへ東ドイツ市民を乗せたバスが到着。彼らはお祭りをよそに国境へ向かった。国境管理官がわざと背を向ける中、大きく開かれた検問所のゲートを一目散に走り抜けていった◆この日、661人の東ドイツ市民が越境に成功。これがベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一につながる。のちに西ドイツ側とハンガリー側が会談を持った時、西ドイツのコール首相は涙を浮かべ、ネーメト首相に「ドイツ国民はハンガリーの勇気を永遠に忘れない」と語ったと伝わる◆30年経ち、世界は再び重大な局面にある。「歴史は繰り返す」というが、寸分違わず繰り返されることはない。円を描くのでなく、らせんの形に渦を巻いて未来へ向かう。方向を見定めねばならない。幾多の過去に学びながら。(里)