1945年(昭和20)8月9日、満州、樺太、千島列島にソ連軍が侵攻した。ソ連は7月26日の日本のポツダム宣言黙殺、世界平和の回復などを理由として、前日までに150万もの兵力を国境線に集結させ、一気になだれ込んだ。

 日ソは41年4月、相互不可侵などを定めた中立条約を締結していた。これは有効期限が46年4月までの5年間とされていたが、ソ連側は連合国側と密約の上、日本へ攻め込む4カ月前に条約の不延長を通告していた。

 期限満了後の不延長通告であるから、当然、期限満了までは条約の約束は守られ、互いに満州やモンゴルへ攻め込むことはしない。当時の日本のモスクワ駐在大使は事実上の破棄とみて本国に懸念を伝えたが、鈴木内閣は条約が守られると考えた。

 ソ連はその後、100万以上の兵士と1500両以上の戦車・自走砲、4600機以上の爆撃・掩護機を欧州戦線から満蒙等に振り向け、バスに乗り遅れまいと対日参戦準備を急いだ。

 この明け透けな動きをみて、ソ連の寝返りに気がつかぬわけはないのだが、対ドイツ戦の消耗、冬へと向かう時期を考えてもいますぐの参戦はないとの見方が大勢を占め、何よりも、中立条約の期限がまだ残っている事実が大きかった。

 人は周囲の状況が悪ければ悪いほど、都合の悪い情報を過小評価し、災害時には逃げ遅れにつながることがある。いわゆる正常性バイアスと呼ばれる心理だが、日本はこの期に及んでソ連を米英との和平への仲介役として期待していた。

 日本の政治家は靖国参拝、慰安婦問題合意で同じ外交の過ちを繰り返している。南シナ海、ウイグル、香港、台湾、尖閣…現実を直視し、自由と平和を考えよう。(静)