本紙では毎年8月に戦争体験者の声を紹介する企画「終わらざる夏」を行っているが、ことしも15日まで掲載した。

 筆者も2人の戦争体験者を取材した。1人目は、日高川町の男性で、青年期に防空監視隊を経験。御坊市内にあるビルの屋上や木の上に監視所を設置し、敵機の飛来を監視する。敵機を発見すれば声を上げ、それを受けて、通信係が各所へ連絡し、ラジオなどで放送される。「農協で働いていた年上の人より給料がよかった」と話していたが、それもそのはずで、監視とはいえ命懸けの任務。B29が飛来し空襲警報が発令しても逃げることができない。防空壕へ走る一般人を横目に、監視体制をより強めなければならない。自身の頭上を敵機が飛び交い、いつ爆弾が落とされるか分からない中、逃げ出すことができず、ひたすら監視する。想像するだけでも恐ろしい。

 もう1人は日高町の女性。戦時中の幼少期は御坊市で過ごし、幼稚園から友達だった近所の女の子の家に爆弾が直撃した。爆弾が落ちる少し前には学校の玄関で手を振ったばかりだった友達が、数分後には爆弾で体の一部が飛ばされ亡くなった。女性は「もう少し学校から帰るのが遅かったら助かっていたのに」と、その女の子と過ごした幼稚園時代の楽しい思い出を細かく話してくれた。

 取材するたびに体験者の心には、まだ戦争の恐ろしい記憶が鮮明に残っているのだと、感じさせられる。ただ年々、戦争体験者を探すのが難しくなっている。ことしも何人かに電話したが、ご存命なものの取材の対応が難しいという人も多かった。こういった取材ができるのもあと数年だろう。できる限り多くの人の声を紙面に載せ、戦争の悲惨さを伝えていきたい。(城)