みなべ町堺の常福寺(畑﨑恒定住職)で戦没者墓碑の開眼供養が行われ、遺族ら関係者約50人が冥福を祈った。以前は本堂裏に英霊31人の墓石が建てられていたが、遺族が高齢化し「墓地までの坂道を上るのがつらい」という声が上がっていたため、山門近くに移転した。建立委員会の松村久夫代表は「入り口近くになったので、参拝者が英霊と会いやすくなった」と話している。
 昭和26年に寺の裏山に英霊の墓地を設けていたが、遺族の高齢化に伴い移転を望む声が上がった。昨年3月に関係者らで建立委員会を発足し、移転を進めてきた。10月には閉眼法要を営んだあと、新築工事に着工。22歳から44歳までの英霊31人の名前を刻んだ墓碑と「戦没一切精霊」などと書かれた塔を建立した。昭和17年に堺区の遺族代表がフィリピンのコレヒドール島の戦地跡を巡拝した際に持ち帰った機関銃や鉄かぶと、水筒などを納める展示台も、近くに新しく建て替えた。
 法要では濱本勲さん(79)、出口常次さん(64)、湯川真光さん(65)の3人が代表で除幕。畑﨑住職らが読経して冥福を祈った。同寺の名誉住職で和歌山市梶取の西山浄土宗別格本山檀林総持寺貫首でもある畑﨑龍定師が「戦時中は、アジアの各地で尊い命がささげられた。このたび遺族を中心に檀信徒らが心のこもった慰霊碑を建立された」と述べ、松村代表も「立派な英霊碑や展示台を建てることができた。寺の入り口近くの場所になったので、参拝者の方々に手を合わせてもらいやすくなった」と話した。