日高新報社は昨年末、昭和の戦争体験者への聞き取り取材などをまとめた本を出版した。タイトルには、戦争を知る人がいなくなり、いずれあの戦争が日清、日露と同様、完全な歴史となってしまう「その日」がくる前に、記憶を語り、聞き、伝え、残していこうとの意味を込めた。
 戦争は勝っても負けても悲惨でしかなく、繰り返してならないのは小学生でも分かるが、戦争を引き起こした責任は日本にも米国にもある。日本人はいまなお、開戦から敗戦まですべて自分たちが悪かったという思考停止に陥っていないか。
 広島の原爆慰霊碑には、「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」という言葉が刻まれている。主語がなく、普通に読めば日本人が過ちを犯し、繰り返さないと誓っているように聞こえる。米国は歴代大統領がだれ1人として非道な原爆投下を詫びず、教師はもちろん、国民の多くがそれを正義と信じている。
 中国、ロシアの力による現状変更、テロ集団による殺りくが続く。日本は集団的自衛権の限定行使を軸とする安全保障関連法を制定し、安倍首相は戦後70年談話の中で、「子や孫、さらにその先の世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べた。 
 先日、韓国との間でくすぶる慰安婦問題の完全決着へ、元慰安婦らへの人道支援として10億円を韓国側財団に拠出することを提案、両政府が合意した。日本国内には異論もあるが、傷ついた日本の名誉回復、未来への責任を果たそうという首相の決意を感じる。
 日本人は大きな抑止力である「戦争被害の現実」を世界に発信し続けるとともに、戦争の結果ではなく、一つひとつの歴史に向き合い、教訓として生かす生き方が求められている。(静)