死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万人以上となった阪神淡路大震災(平成7年1月17日)から20年。当時、大阪で暮らしていた筆者も大きな揺れを経験。新幹線の高架下に足を踏み入れた瞬間だったので、高架橋が崩れ落ちると思って逃げ出した。ただ事ではないのは分かったが、何が起こったのか分からなかった。しばらくして友人の電話で地震と知った。
 神戸市にある「人と防災未来センター」には、この20年前の震災で被災した体験や実情を伝える語り部ボランティアの人たちがいる。筆者も以前、日高川町の川辺公民館主催の講演会で、ボランティアの荻野惠三さん、君子さん夫婦から体験談を聴いた。荻野さん夫婦は、地震で自宅が全壊し7時間もの間、生き埋めになり九死に一生を得た。コタツの掛け布団と寝ていた布団がクッションとなって奇跡的に圧死を免れたことや真っ暗闇でガスが充満するなか、身動きがとれない生き埋めの恐怖、極限状態で救出を信じて夫婦で励ましあったことなど体験談は生々しく、その内容はいまでもはっきりと覚えている。
 特に印象に残っているのは、生き埋め状態の際、家の外の音や声が聞こえるのに、救出を求める家の中からの声が聞こえない片道切符の現象という話。荻野さん夫婦は、コタツの天板を蹴った音が外へ伝わり助かった。このことから衝撃音の大切さを強調し、防災対策も語った。思い出したくもないかも知れない悲惨な体験、教訓を地震を知らない人たちに語り次いでくれる荻野さん夫婦。筆者は荻野さんの体験談をあらためて肝に銘じた。近い将来、南海トラフ地震が高い確率で発生するといわれる。阪神淡路大震災から20年。いま一度、防災意識を高め、対策を見つめ直そう。  (昌)