日高地方で死者、行方不明者合わせて298人を出した昭和28年の「7・18水害」から18日で61年目。ことしも犠牲者の冥福を祈ろうと、御坊市薗の橋本克彦さん(78)が、天田橋の上から供養の酒を流し、手を合わせた。
 当時、17歳だった橋本さんは「天田橋に避難したが、激流で橋の上を丸太が流れ、日高川沿いの家も倒壊。そしてあっという間に橋げたの両端が流されて孤立してしまった。橋の上で一晩を明かし、水かさが減ったところで脱出できたが、たくさんの人や家が流されていた。たらいに乗った親子の姿もあったが、どうすることもできなかった」と恐怖と悔しさをにじませながら振り返り、「2年前に脳梗塞で入院し、足も少し悪くなったが、これからも毎年供養を続けたい」と話していた。
 この日は近所に住む会社員の西川徹也さん(44)も一緒に酒を流し、「有田川町にいた私の祖母もあの水害で亡くなりました。犠牲者の冥福を祈りたいと思います」と手を合わせていた。