人口減が深刻な問題となっているなか、昔から全国各地で行われてきた地域信仰の集い、庚申講(こうしんこう)がその姿を消しつつある。60日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日に講のメンバーが集まり、般若心経などを唱え、料理を食べて酒をくみかわす行事。日高川町和佐地区の講もメンバーの高齢化で離脱者が多くなり、「とうとう最後の1人になってしまった」という吉田孝夫さん(73)に話を聞いた。
 庚申講は、中国道教の「三尸説(さんしせつ)」が起源とも伝えられ、人の体の中には3匹の尸(し=むし)が潜んでおり、庚申の夜、人が眠っている間に体から抜け出し、天帝のもとにその人の罪や過ちを報告し、命を奪わせる。しかし、次の日の朝まで眠らなければ虫は抜け出せないということから、中国では講仲間が集まって朝まで身をつつしんで過ごした。日本では定期的な懇親の場としての意味合いが強く、江戸時代から全国各地で行われているが、少子化と高齢社会が進んだ近年は講を継続できず、地元のお寺にお勤め用の掛け軸などを納めて解散、別の地域の講に移る人もいるという。
 和佐の元会社員吉田さんは、高校を卒業して地元の講に入れてもらい、仕事で東京に引っ越した数年を除き、これまで延べ50年以上、講に参加し続けてきた。若いころは親子以上に年の離れた人たちと過ごす時間が何より楽しく、地域の伝承やさまざまなことを教えてもらったが、一時30人近くいたメンバーも亡くなったり、高齢になって体力が続かず、次々と離脱していった。
 和佐の庚申講では不動明王と「見ザル、言わザル、聞かザル」の3匹の猿などが描かれた掛け軸がお勤めの際に掛けられる。江戸時代の宝永年間に作られた軸は300年近くたってボロボロになっていたが、吉田さんはいまから14年前、業者に依頼して自費で修復。かつての講のにぎわいをという願いもむなしく、とうとう最後の1人になってしまい、いまは2カ月に1回、1人でお勤めを続けているという。
 「私は子どものころから、年上の人の話を聞くのが好きでしてね。18歳で講に入れてもらって、明治生まれの人との世間話は本当に面白く、勉強になりました。2カ月に一度の講のほか、オリンピックイヤーと同じ4年に一度は地域の広場で盛大にもちまきも続けてきましたが、それももうどうなるのか...」と、自慢の掛け軸を手にさみしそうに話す。