1人の子どもに対して2人の女性が互いに母親であると主張して、子どもの片腕を引っ張りあう。痛がる子どもを見かねて手を離した女性が真の母親であると認められた。大岡裁きで有名な「子争い」の物語である。引っ張り勝ったのに納得のいかない女性に奉行の大岡越前は「痛がる子の腕を引っ張り続けて何が母親か」と一喝したという。子のことを一番に考えてこそ親の愛情であり務めであろう。ただ、どのようなたくらみがあったのかは別にして、何としても自分が育てたいと思ったのなら、負けた女性もある意味立派だったかもしれない。
 神奈川県厚木市のアパートで男児の白骨遺体が見つかった事件の報道には涙がこみ上げてきた。男児が3歳4カ月のときに母親は家を出て、今回、保護責任者遺棄致死の容疑者となった父親が1人で面倒を見ることになった。1年ほどたつと容疑者は帰宅が1日おき、2日おきと減り、さらに1年後には週に1、2回しか帰らなくなったという。男児は5歳のころに衰弱死し、遺体は死後7年半も放置され、誰も気づかなかった。幼い子はけなげに父親の帰りを待っていた。おなかがすいただろう、怖かっただろう、寂しかっただろう。言葉に詰まる。
 親になる責任や自覚が足りないだけではない、悲劇を防げなかったこと、死後長い間発見できなかったことは社会全体の問題でもある。いまや離婚は珍しいことではなく、このような事件は都会だけのことだけでもない。仕事をしながら一人で子育てするのは簡単なことではないが、一生懸命頑張っている人はたくさんいる。金銭面だけでなく、家庭環境を知り適切な支援をする。そんなおせっかいな行政が求められていると感じる。    (片)