ことしも残り2週間、身を切るような寒さに冬本番を感じるようになった。夏の暑さもまいるが、個人的には冬の寒さの方が体にこたえる。やっぱり冬は寒くなければと自分に言い聞かせ、なんとか毎日を乗り切っている。寒空の下で取材をしていると、ふと思うことがある。こんな厳しい寒さの中で災害が起きたら、無事避難できたとしても暖を取るすべがなければどうしのげばいいのだろうかと。災害発生時に家にいたとしても、毛布を持って逃げる余裕などない。各地域で一時避難場所に決めている高台に備蓄倉庫を設置して、毛布などを備えておくことも必要だろう。
 昭和21年12月21日、昭和南海地震が発生した。もうすぐ67年になる。50~100年周期で発生している過去の南海地震の中では小規模だったとされるが、筆者の住む印南町でも10人以上が亡くなった。印南の体験者の記録に目を通すと、「地震が来たら要害山」との言い伝えが、いつの間にか「津波が来たら要害山」になっていたと記されていた。津波が来てから逃げても遅い。東日本大震災を経験した日本人は、「地震が来たら避難」の意識をあらためて認識しているはず。教訓は確実に引き継いでいかなければならない。
 先日、印南町の海岸沿いの地域で避難訓練が行われた。筆者は別の取材があったので参加できなかったが、避難した人の話を聞くと子どもや若者の姿は少なかったという。いまの子どもたちは幼稚園や学校で避難訓練を繰り返し、地震が来たら避難の意識は大人より高いかもしれない。しかし学校にいるときに起こってくれればいいが、そうとも限らない。子どもたちを巻き込んだ地域単位の訓練も必要だ。    (片)