13年前から歌舞伎ファンとなり、多くの役者の芝居を劇場で見てきたが、この人だけはテレビ観劇のみだったのが悔やんでも悔やみきれない。今月5日未明、57歳の若さで他界した稀代の名優、十八世中村勘三郎。
 顔立ちが特に華やかなわけではないのに、表情や動きが磁力のように人を引きつける。闊達な物言い、人懐っこい笑顔。気っぷのいい人情家という表現がぴったり。瞳が放つ強い光には歌舞伎への情熱があふれていた。いつか必ず平成中村座に行くつもりだったが、最早かなわぬこととなった。
 三世市川猿之助さん(現猿翁)がスーパー歌舞伎で新たなファン層を開拓。一方で、江戸初期からの長い伝統を背負う名門の勘三郎さんは、古典歌舞伎に時代の息吹を与えるべく次々に新趣向を実現していった。その幾多の試みには歌舞伎を「生きた化石」にするまいという気迫、そして何より「本気の遊び心」があった。2004年のニューヨーク公演「夏祭浪花鑑」では、最後の捕り物で銃を手にした警官が登場する。ニューヨークタイムズ紙で、ちょうちん持ち的な記事を絶対書かないことで定評のある評論家が激賞したという。
 フジテレビの追悼番組を見た。「浪花鑑」の団七の姿で刀を手に目をキラキラ輝かせ、咆哮しながら花道を駆けていく。その姿が目に焼きついて消えない。名門の歌舞伎役者ということ抜きに、本当に周囲に愛されていた人という気がした。多くの記事を読んだが、どれも心からの愛惜の思いがにじみ出るようだった。
 ご子息の勘九郎、七之助両人の口上では、瞳が放つ光に勘三郎さんの面影が生きているように思った。遺伝子と共に引き継がれる「芸の心」を、これから見守っていきたいと思う。
       (里)