国家が他国から侵略的攻撃を受けた際、民族の誇りにかけて徹底抗戦するのを「ゼロット(熱狂派)」、敵の支配を受け入れながらも間接統治に食い止め、長期的に外部文明の長所を学習する外交路線を「ヘロデ主義」という歴史学の視点がある。元防衛大学校長の五百旗頭真氏は、帝国陸軍の自己破滅への暴発をギリギリの線で抑え、米国の支配下で再建の道を選んだ昭和天皇の戦後はまさにヘロデ主義の成功例だったという。
 攘夷派(ゼロット)を抑えて開国、ヘロデ主義で急速な近代化を成し遂げた日本は明治28年、日清戦争に勝利する。下関の講和で多額の賠償金をせしめ、遼東半島や台湾を手に入れたのがのちに「カミソリ大臣」とも呼ばれる陸奥宗光外相だが、ロシアなどの干渉によって遼東半島を泣く泣く返還。力で領土を奪っても、国際的支持がなければ無に帰するという現実を骨身にしみて味わった。
 このときの学習から次の日露戦争では、日英同盟を軸に欧米では積極的な広報外交、敵国内では明石元二郎らが帝政転覆の諜報活動を展開。司馬遼太郎が「薄気味悪いまでの無能さ」とこき下ろす乃木希典率いる陸軍が旅順要塞をどうにか攻略、東郷平八郎率いる連合艦隊がバルチック艦隊を打ち破り、前線の軍にも勝る政治家による外交戦略が見事にハマり、超大国に奇跡の勝利を収めた。
 ことしは和歌山出身の陸奥宗光の外相就任120年にあたり、県は秋に東京で陸奥と日本外交を考えるシンポジウムを開く。いま、尖閣諸島購入計画に絡み、島周辺で中国と小競り合いが続いている。政治家、私たち日本人が明治に学ぶという点で開催の意義は大きい。   (静)