真珠湾攻撃から70年目のことし、8月と今月の2回に分けて、計10話13回の連載に挑戦した。延べ30人以上に取材し、多くの方にご協力いただいた。日々の取材の合間をぬっての訪問は夜や休日の朝になることもあったが、どの方も軍隊記録や写真、遺品などできる限りの準備を整え、無知で不勉強な筆者に3時間も4時間も話を聞かせてくれた。
 戦争体験者は90歳前後。当然ながら、記憶はおぼろげで断片的。それを1つずつ確認し、つなぎ合わせる作業は決して楽ではなかったが、毎晩、取材ノートとインターネット、戦争に関する資料に向き合い、 極寒のソ満国境、熱帯の密林などを想像しながら、記者の原点に立ち返って、読者に向けて人を書くことの難しさと楽しさを感じた。
 電話、手紙、メール、ファクスなど、いろんな形で予想以上に反響があった。戦死した人の遺族からは「記事にしてもらって、お盆にいい先祖の供養になった」、郷土史研究家からは「以前、自分がやろうとしてできなかった調査をしてもらった。ありがとうございます」という感謝の言葉もいただいた。
 第8回「レイテで死んだおじいちゃん」には、由良町の男性から「谷口さんの靖国神社参拝後の情景など胸をつまらせました。客観的な事実に一雫の涙が名文とされていますが、まさにそれでした。こういう記事が活字ばなれを食い止めるのではないでしょうか」。
 戦後生まれの40代のあの戦争に対する思いと国家観を、同じ40代の筆者が記事にし、一面識もない戦争体験者の読者に響いた。企画に意義があったと確信するとともに、記者冥利に尽きる反響、また新たなテーマに挑戦したいと思う年の瀬。         (静)