幼い頃から大の野球ファン。きっかけはと聞かれれば即座に答える。「箕島―星稜を甲子園で観戦していたからですよ」。
 1979年夏の甲子園、3回戦の箕島―星稜。午後4時すぎにプレーボールのかかった試合は延長18回、3時間50分に及ぶ死闘となり、後攻めだった箕島の劇的なサヨナラ勝ちは高校野球史上最高の試合という人も多い。当時、6歳。一投一打に興奮し席を立ち上がる観客の様子などはっきりと記憶にある。現場でしか味わえない熱気を体験したことで、野球、甲子園が一気に好きになった。
 記者になって数年後、偶然にも当時の箕島を率いた尾藤公監督とお話する機会があった。日高町の講演会で講師を務め、その後、数分だけ時間を割いてもらったのだが、「延長18回の試合、わたし甲子園にいました」と切り出すと、「そりゃあよかった。2試合分、観れたんですからね」と"尾藤スマイル"を浮かべてくれた。
 6日に尾藤さんが他界した。ファールボール落球直後の起死回生同点本塁打など延長18回の奇跡的な場面よりも印象に残っていることがある。講演会で訴えられていた「バントの心」だ。箕島の代名詞ともなったバントは、自らを犠牲にして仲間を次の塁へ進めるプレー。地味な作戦だが、仲間を信頼し、仲間は信頼に応えようと全力で頑張らなければ得点には結びつかない。アウト一つにもチームワークを表す大きな意味が隠されていると教えてくれた。
 バントの心は、最近薄れがちな「私」ではなく 「公」 を大事にする意識を説くと理解している。野球だけではなく社会生活にも生かされる。尾藤さんの言葉を改めて胸に刻むとともに、めい福をお祈りしたい。     (賀)