事故や病気で手足を失った人は、なくなった手足がはっきり「ある」と感じ、痛みやかゆみを感じることがあるという。医学的に「幻肢」「幻肢痛」と呼ばれ、切断前の体と神経の地図、感覚の記憶などが書き換わることによって起こるともいわれている。

 友人は20年以上前、病気の治療でにおいの感覚を失った。以来、においはまったく感じないが、においの記憶は消えることなく、美しいものを見ればいい香り、汚いものを見ればいやなにおいを反射的に思い出すという。

 感じるはずのないにおいをはっきり感じることもあり、それはどんなにおいで、どんなときかと聞くと、「まだ赤ちゃんのころの娘のにおいで、自分が抱っこしている夢を見ているとき」に感じ、目が覚めるとなぜか涙が流れていたそうだ。

 フロイト的には、無意識下の願望が表層に表れるということか。いわゆる五感は日常、意識することもないが、中途で喪失した場合は脳内に蓄積された記憶が仮想現実を生成するのだろう。存在しない手足の痛みやにおいを感じるというのもなんとなく理解できる。

 2万2000人以上の死者・行方不明者が出た東日本大震災の被災地では、もっと直接的で不思議な話が数多く聞かれた。亡くなった家族が目の前に現れた、死んだ人からメールが届いた、子どもが遊んでいたおもちゃの車が勝手に動いた…。

 家族など大切な人との死別は深い悲しみを受け、それがあまりに突然で理不尽であれば混乱も激しく、現実を受け入れることは難しい。東北の霊的体験も一見、オカルト寄りに思えるが、幻肢痛や友人のにおいの話を聞けば、それほど不思議でもなく、むしろ当たり前にさえ感じる。(静)