昭和の戦争終結前、初代日ノ御埼灯台(美浜町三尾)の灯台長を務め、終戦後に病で妻と2人の娘を失った内田十二(じゅうじ)氏(俳号・稲人)が詠んだ俳句の句碑が、現在の3代目灯台(日高町阿尾)の近くへ移設されることとなった。19日、灯台を所管する田辺海上保安部が移設記念除幕式を行う。

 資料によると、内田灯台長は、初代日ノ御埼灯台に勤務する傍ら、大正から昭和にかけて活躍した俳人高浜虚子が主宰する「ホトトギス」に所属。1945年7月、初代日ノ御埼灯台が米国の戦闘機の襲撃で破壊され、内田灯台長は復旧作業に奔走する。その4か月後の11月、わずか10日間のうちに妻、長女、三女が過労や栄養欠乏により相次いで亡くなった。そんな状況にもかかわらず、海の安全のため壊れた灯台を灯し続けた内田灯台長を哀れんだ虚子は、「妻長女三女それぞれ啼く千鳥」の句を贈った。その3年後、転勤のため日ノ御埼を離れることになった内田灯台長は「妻長女三女の千鳥飛んで来よ」という句を詠んだ。

 2人が詠んだ句はその後、地元有志が句碑として建立。虚子の句碑は終戦後建てられた2代目灯台の横に、内田灯台長の句碑は現在の日の岬パークの丘の上に設置された。虚子の句碑は7年前の3代目灯台完成時にすぐそばに移設されたが、内田灯台長の句碑は長らく移設されず、灯台が見下ろせない位置となっていた。今回地元住民や関係団体の協力で、虚子の句碑の隣に設置される。

 19日の除幕式は午後1時から。式後、灯台内の一般公開も行う。