子供の頃、「ベルリンの壁そしてとげ」という詩を読んだ。残念ながら作者名も、どんな言葉で綴られていたかも覚えてはいないが、確か図書室で借りた「花の詩集」という本に載っていた。プロの詩人だけでなく一般の人や学生のさまざまな詩を収めた本。その詩はおそらく学生の作で、西ベルリンを囲う有刺鉄線をバラのとげに例えていた。東西冷戦の象徴、ベルリンの壁を知ったのはその時のことだ◆ある日突然自分の町に境界線ができ、家族や友人同士が離れ離れになる。境界を越えようとすると銃で撃たれる。そんな恐ろしいことがなぜ起こるのか。なぜ誰も止められないのか。「戦争を二度としてはいけない」と教わったのに、世界のあちこちでまだ戦争があると知った時と同じく、その理不尽さは強く印象に残った◆「汎ヨーロッパ・ピクニック」という歴史的な出来事がある。1989年8月19日のことだ。多くの東ドイツ国民が、民主化を進めていたハンガリーからオーストリアを経由し、西ドイツへの亡命を成功させた。その陰には関わった人々の熱意と、知恵を尽くした慎重な行動、勇気があった。そしてその成功が、3カ月後のベルリンの壁崩壊につながる◆20代になっていた筆者は、そこから始まった東欧の劇的な変化をのめり込むように見続けた。世界は変えることができる、その証明をいま目の当たりにしていると震えるような感動をもって思った。30年以上前のことだ。ソ連は崩壊し、ロシアは民主化した。そのはずだった◆今年の2月24日からずっと、心底からの怒りをもってウクライナの状況を見続けている。どう考えるべきか、何をすべきか分からない。できることがあるかどうかも分からない。ただ、機会を捉えて発信するだけだ。(里)