8月15日の終戦の日に向け、戦争体験者に話を聞く取材を始めたが、戦後76年目の夏を迎えていよいよ、戦争体験を語る人がいなくなる「その日」が近づいているのを感じる。連載も今年が最後になるかもしれない。

 兵士として戦場を経験した人ならいまはもう90代半ば。ご健在でも古い記憶は薄れて断片的になっているケースが多く、しっかりと話をしていただける方は少ない。必然的に取材相手は遺児や家族となってしまう。

 事故や災害も悲惨な被害、痛み、悲しみを繰り返さないためには、その事実を知ることが重要。記憶を語ることができるうちに話を聞き、お名前とともに記事を書き、新聞やテキストデータとして残さねばならない。

 和歌山市内で路線バスを走らせている和歌山バスは、利用者からの「わかりにくい」という声を受け、現状に合わせて「公園前」や「市民会館前」など9つのバス停の名称を変更した。

 「市民会館前」にあった市民会館は場所が変わり、「車庫前」にあった車庫は50年も前に廃止された路面電車の車庫のことで、いまでは「車庫前」と聞くとバス停よりも、和歌山ラーメンを思い出すという人が多い。

 美浜町の三尾に「アメリカ村」というバス停がある。明治から昭和にかけ、多くのカナダ移民が海を渡った三尾地区は、昭和の終わりまでは「アメリカ村」と呼ぶ人も多かったが、令和のいまはほとんど耳にすることもなく、実態にそぐわぬ名称のバス停の意味がわからぬ人もいるだろう。

 カナダ移民も世代が変わり、三尾との交流が途絶え、戦後、日本へ戻った方も多くが鬼籍に入られた。過去を知る人がいなくなれば、その過去はなかったことになる。昭和の戦争を知る方はぜひご連絡を。(静)