音楽や絵画、文学など、時代を超えて人々に愛され、語り継がれる芸術。作品には作者の社会への怒りや悲しみの感情が込められ、恐慌、革命、疫病など時代の恐怖を反映した名作も少なくない。

 現代の芸術の一つにかぞえられる映画は、ほとんどが小説などを原作としてつくられているが、古い西洋の絵画も描き手が文学に感化され、その壮大な物語を2次元のキャンバスに凝縮、投影した作品は多い。

 先の連休、タイトルと表紙の絵の異様さにつられ、ドイツ文学者中野京子さんの「怖い絵」を読んだ。表紙はラ・トゥールという17世紀の画家が、賭けトランプをする3人の男女と女性給仕を描いた「いかさま師」という作品である。

 育ちのよさそうな若者が手札をのぞき、その目の前でいかにも狡そうな横目を使うゲームの親らしき女性、その視線の先にこれまた邪な目で背中に隠したカードを切ろうとする男性。その間で若者の札を盗み見た給仕が、両脇の仲間に「いまやで」と目でサインを送っている。

 若者はゲームの序盤にたっぷり勝たせてもらったのだろう。手元には多くの金貨を積んでいる。自分の手札に夢中で周りを見る余裕がなく、仕掛けるタイミングを待つ相手の目の奥の心根の卑しさに気づかない。

 そんな解説を読みながら、ふと背中に冷たいものを感じた。この絵でいかさま師のカモにされそうな若者は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、自分で喧嘩もできない「お花畑」な日本ではないか。

 コロナ禍で周回遅れのワクチン接種に追われているうちに、強引な手法でウイルスを抑え込んだ異形の国が、一気に領土を奪おうとしている。400年後の未来の風刺画に見えた。(静)