郷土の偉人に光を当てよう――。道成寺の二代目釣り鐘をよみがえらせた中世の人物、逸見(へんみ)万壽丸が来年生誕700年を迎え、記念祭として釣り鐘が京都の妙満寺から「お里帰り」するのを前に、地元の有志らが「逸見万壽丸生誕七百年を祝う会(万寿会)」を設立。祥月命日に当たる22日、日高川農改センターで設立総会が開かれた。会長に就任した湯川宗一前日高川町教育長は、「この機会に、郷土のヒーローを盛り上げていきたい」とあいさつした。

 逸見万壽丸源清重(へんみまんじゅまるみなもとのきよしげ)は南北朝時代の人物で、1321年生まれ。南朝方で武勲を挙げて矢田庄(旧矢田村)を賜った。私財を投じ道成寺本堂を20年かけて新築、安珍清姫以来430年ぶりに釣り鐘を復活させた。同寺の秘仏千手観音像も作らせたとみられる。

 来年秋には「紀の国わかやま文化祭」の一環として「道成寺釣鐘お里がえり~逸見万壽丸生誕700年祭~」が行われ、現在鐘を所蔵する京都市妙満寺から帰った鐘の一般拝観を行う。道成寺では秘仏千手観音像の「中開帳」も行い、通常は33年ごとに開帳する秘仏を、前回から16年半経つ来秋に拝むことができる。

 当日は、万壽丸の子孫に当たる瀬戸家、栗本家の人々も含め約30人が出席。まず発起人会を開き、道成寺の小野俊成院主が万寿丸の人物や功績を紹介。当時、恐れて誰も手をつけなかった道成寺の鐘を果敢によみがえらせたことを説明し、「合理的な考えの持ち主。この鐘が復活したからこそ歌舞伎の『娘道成寺』などが生まれた。一代でこれだけの業績を残した人物の生きざまに耳を傾けてもらいたい」と話した。

 続いて妙満寺の湯原正純さんが「17年ぶりにお里帰りをさせていただくのは大変光栄で、身の引き締まる思い」とした。

 続いて「逸見万壽丸生誕七百年を祝う会」の設立総会に移り、会長となった湯川さんは「家の墓の隣に万壽丸の墓があり、幼い頃から見てきたのでご縁を感じる。郷土の誇りをこの機会に盛り上げていきたい」とあいさつした。その後、土生の来迎寺(西村陽俊住職)に移動し、西村住職の読経で墓に参った。
 小野院主は「来年は万壽丸が残した3つの宝、釣り鐘、本堂、秘仏をご覧になれる大変貴重な機会となります。多くの皆様に知っていただけたらと思います」と話している。

写真=逸見万壽丸生誕七百年を祝う会の皆さん(前列右から4人目が湯川会長、5人目が吉田副会長)