先日和歌山県民文化会館で行われた「松竹大歌舞伎」、二代目松本白鸚、十代目松本幸四郎襲名披露公演を鑑賞した。20年前、1999年に歌舞伎ファンとなって以来、幾つもの舞台を見てきたが、役者が裃姿でずらりと並んで口上を述べる襲名披露の公演はまた格別だ◆白鸚丈の舞台を生で見たのは十数年ぶり。やはり和歌山県民文化会館で、「勧進帳」の弁慶だった。ロックスターのようなシャープな動きが今も目に浮かぶ。幸四郎丈も十数年前、大阪松竹座で確か「恋飛脚大和往来」の八右衛門を見た。悪役だがすっきりと粋で存在感があり、目が吸い寄せられる思いだった◆今回の演目は口上のほか「菅原伝授手習鑑」、そして和歌山に縁の深い「奴道成寺」。「京鹿子娘道成寺」の男性版だ。鐘供養の場に現れた白拍子花子、実は狂言師の左近が僧達に踊りを見せ、鐘に隠された宝物を手に入れる。生の舞台の醍醐味は、舞台上の役者の一挙手一投足を冷静に見るのでなく、その動きと声音、存在感によって生まれる独特の空間の中にいられること。3つの面を次々に取り替えながら踊る、そのユーモラスな動きで時に笑いを誘い、時に素早く気迫のこもった動きで見惚れさせる◆歌舞伎は役者一人一人の創造力と情熱で、それぞれの花を舞台に咲かせてくれる。白鸚丈は白鸚丈の、幸四郎丈には幸四郎丈の、それぞれの色合いの花がある。それが歌舞伎の面白さであり、様式美を楽しむ伝統芸能にとどまらない、進化し続ける第一級のエンターテイメントでもある所以だろう◆代替わりが無事に行われることは喜ばしく、祝福すべきこと。高麗屋親子の舞台の余韻にひたりながら、あと2週間足らずに迫った平成から令和への移り変わりを思っている。(里)