みなべ町教育委員会主催、文化財講演会が18日に生涯学習センターで開かれ、約60人がことし3月に県無形民文化財に指定された須賀神社の秋祭りについて由来などを学習した。講師は県教育庁生涯学習局文化遺産課保存班の蘇理剛志主査で、「祭具の御蓋(おかさ)を中核としたお渡り行列が行われるのは、全国的にも珍しいのではないか」と説明した。

 須賀神社の秋祭りは10月8・9日に行われるが、明治以前は旧暦9月9日だった。祭礼の特色は、渡御行列が神社から出発するのではなく海(浜辺)からで、御蓋を中核として儀式が行われること。御蓋の意味合いは、災いを引き起こす荒ぶる神霊が移動するための祭具。神輿の移動は神社とお旅所との往復だが、御蓋は片道の渡りとなる。9日の渡御では南部浜の秋葉神社から須賀神社を目指して徒歩で出発する。最終的に須賀神社の社壇内に御蓋の一団を送り込むという、中世の疫神送りの祭礼に起源を持つ独特の儀式。荒ぶる神は、社壇で鎮められると、災いをもたらす神ではなくなるという。

 蘇理主査は「1930年までは渡御に神輿はなく、それ以降に登場した。御蓋を使う祭りは他にもあるが、中核となるような祭りは珍しい」と語った。祭礼の競べ馬(くらべうま)や流鏑馬(やぶさめ)の名残がある神事が行われていることについては、「南部川の上流と下流を結ぶ街道で、木炭や塩をはじめとした生活の物資を運ぶのは馬だった。その馬を年に一度、きれいな馬具で装って人前に披露するのが秋祭りであった。生活文化として古くからあった人と馬との関係性を伝えている」と説明し、「流鏑馬は神事としての意味合いが強く、競べ馬は祭礼における娯楽だった」と述べた。

 同町で行われている他の祭礼についても触れ、「みなべ町は日高地方の最南端で、田辺藩主の支配下でもあった。日高地方と熊野地方の祭り文化の境界であり、使われる祭具にもそれぞれの文化が混ざり合っている。例えば、獅子頭をみても日高地方は紙を素材とし、熊野地方は木で作っている。みなべには紙と木の両方の獅子頭が存在する」などと紹介した。

写真=須賀神社の秋祭りの由来を説明する蘇理さん