1985年8月、中学の野球部の友達と3人で真夜中の鈍行列車に乗り込み、甲子園へ向かった。目的はKKコンビのPL学園と、プロ注目の右腕中山裕を擁する高知商業の準々決勝。怪物キヨマーは中山の球を打てるだろうか。眠いのも忘れて対決の予想で盛り上がった。 スタンドは全国から同じ思いで詰めかけた観客で超満員。じりじりと太陽に焼かれながら、PLの2点リードで迎えた5回裏、清原のバットが146㌔のストレートを真芯でとらえた。ガキーン という凄まじい金属音がした瞬間、打球は左翼席中段の上に突き刺さった。
 座っていた一塁側内野席最上段から真正面。おもちゃのオペラグラスを奪い合ったが、もちろん間に合わない。そのあまりの飛距離に大観衆が呆気にとられ、間違いなくほんの一瞬、球場全体が静まり返った。やはり怪物は怪物だった。いまも夏の甲子園をテレビで見るたび、あの伝説のホームランがよみがえる。
 あれから31年、清原氏が覚醒剤事件で逮捕された。思えば巨人時代から、筆者の中の清原氏はスターではなく、今年最大のワイドショーネタもただただうっとうしかった。しかし先日、ネットで見たスポーツ雑誌の記者が書いた清原氏のドキュメント、それに関する清原氏本人との電話のやりとりを紹介したニュースには引き込まれた。
 記者は清原氏が高校時代、甲子園で放った13本の相手投手11人を訪ねた。彼らはどのような思いで勝負を挑み、一発を浴びて何を感じ、その後どのような人生を歩み、現在の清原をどう見ているのか。自身の記憶も重なり、記者が清原氏に送ったエール、清原氏が泣きながらかけてきたという電話の言葉に胸が熱くなった。再起を誓った涙を信じたい。 (静)