江戸時代中期、鰹節製法を関東へ広めた印南村の鰹節職人土佐與市(とさの・よいち=印南與市)の200回忌を供養しようと、印南町文化協会の坂下緋美会長ら5人が21日から與市の墓がある千葉県南房総市の千倉を訪れた。
 與市は安永10年(1781)に安房、享和元年(1801)に伊豆へ製法を伝えた。晩年は印南へ帰ろうとしたが、製法を持ち出したことが許されず、帰郷できぬまま亡くなった。墓は千倉で與市が身を寄せていた渡辺家が管理。墓石だけでなく、功績などが書かれた石碑も併設されている。
 一行は、200回忌となる22日に墓前を訪れ、地元の行政や地域づくり団体の関係者ら20人とともに、墓に手を合わせて冥福を祈った。23日には印南漁民の子孫が多い千葉県銚子市を訪問。越川信一市長に「印南漁民を縁に今後も交流を深めていきたい」との趣旨の日裏勝己印南町長からの親書を手渡した。
 坂下会長は「200回忌のお参りができてとてもうれしく思います。江戸の印南漁民がつなげてくれたこの縁をこれからも大切にし、交流していきたい」と話している。