日高川町の文化講演会が9日、川辺西小学校体育館で開かれ、印南町出身の芥川賞作家辻原登さんが「わが故郷 日高」をテーマに語った。辻原さんは、古代から人々の信仰を集めた南紀熊野という土地の特殊性を学術的に解説し、「『日高』は熊野という霊的な土地のすぐ前にある、日の高く輝く国」と話した。
 辻原さんは、まず故郷の思い出を回想。社会党の県会議員だった父について「由良、日高から龍神まで選挙カーに乗って回っていたことを覚えている」と話した。定職につかず小説家を目指したが、がんに倒れた父を看病して見送ってから「夢を追うだけの甘ったれた暮らしでなく、社会人としてやっていかなければ」と25歳で初めて就職。勤めながら小説を書き、38歳で作家デビューを果たした。ペンネームの「辻原」は父の知人、「登」は政治家の竹下登からとったという。
 続いて言語や土地の歴史について説明。熊野が霊的な聖地となった経緯として、有間皇子の悲劇を語った。孝徳天皇の皇子だった有間は賢く人望があり、斉明女帝の次の天皇と目されていたが、数え年19歳の若さで中大兄皇子(天智天皇)に謀殺される。有名な万葉歌「岩代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた帰り見む」について、辻原さんは「切目崎から岩代にかけての地点は、海の向こうに熊野を望む場所。あの世との境界である熊野へ行く前に、旅人は皆ここで道中の無事を祈った。これは単なる悲しみの歌ではない。枝を結ぶのは神への祈りを込めた厳粛な神事」と解説。「この出来事は古代史上大きなエポック(画期的な事件)。これ以降、恨みをのんで死んだ人の魂を鎮めるという熊野詣の意味がより強められた。そして日高は『この先からいよいよ熊野へ入る』という土地。文字通り『日の高く輝く国』という意味を持つ。小高い丘や田んぼのある日高野は、熊野の深い森と違い、日の光をいっぱいに浴びて輝く場所。熊野へ至る前にこんなにも輝かしい国があることの意味は大きい」と話した。