県教委が行った教師の体罰に関する実態調査で、昨年4月以降、県内公立学校の124人の教師が体罰をしていたことが分かった。その行為の理由、形態はさまざまだが、県教委はあらためて、本年度の学校教育指導方針として体罰の全面禁止を強調している。
 30年ほど前、筆者の通う小学校では、戦前生まれの男の先生が受け持ちの児童にしょっちゅう体罰を加えていた。女の子にも容赦がなく、ときには足を払ってこかし、とくによく怒られていた男の子は、「お前が将来、会社の社長になったら、ワシの墓にしょんべんかけてもええ」とののしられた。もちろん、落ち度は子どもにあるのだが、体罰がいまより容認されていた時代とはいえ、いま思えばうそみたいな話。
 時代の変化を感じるといえば、たばこも。つい20年前までは、電車でも飲食店でも吸えない場所はなかったが、いまは見渡せばほとんどが禁煙。再放送で昔のドラマを見れば、主人公はみんな四六時中、たばこをくわえている。ある意味、たばこは男っぽさや忙しく働く男の象徴で、百害あって一利なしといわれる喫煙に世間も甘かった。
 教師の体罰に対する意識は、学校側も世間も急速に変わりつつある。女子柔道の騒動をみても、生徒や選手が理不尽な暴力、暴言に対し、怒りの声を上げられるようになってきた。床屋談義で体罰を肯定する意見は多く聞かれるが、いずれ、そうしたどや顔まじりの思い出話も、はばかられる時代になるのだろう。
 飲酒運転もしかり。世間の感覚は長い時間をかけて、気がつけば大きく変わっている。1人ひとりの人間と同じく、社会全体も、痛みを経験しながら少しずつ賢くなっていく。    (静)