都会へ知り合いと出かけていて、その知り合いが突然病気で倒れたり事故に遭って大けがをした時、自分が手を離せない状況なら「おーい、誰か助けてくれー」と叫ぶ。周囲に顔見知りがいない。思わず「誰か」に頼るところだが、そんな言葉では「誰か」には通じないという。そういう状況になった場合は1人を指差し、「あなた、救急車を呼んでください」とはっきり呼びかけた方が効果的とされ、大声で助けを求めて動いてくれない世間は冷たいと思うかもしれないが、人間の心理で仕方がない部分もあるのだろう。確か救急救命講習の取材でも、「誰か」ではなく「あなた」と指名するように教えられていたと記憶している。
 いくら人間の心理でも、「誰か」といわれてすぐに自分が助けにいけないようでは情けない話だ。普段の生活でも誰かのためにという行動は数え切れないほどある。トイレの紙、職場で使用する文房具類、次の誰かのために使ったあとで確認、補充しよう。小さなことでも普段から心がけておかなければ、いざという時、とっさの時に行動が伴うはずもない。集団生活においては、いつも「誰か」を「自分」「あなた」と置き換えて生活するだけで、ずっと快適な学校、仕事のしやすい会社、暮らしやすい地域になっていくはずだ。
 いじめや体罰で自殺を図る子どもたちがニュースをにぎわしている。「誰かが相談に乗ってあげていれば」。周囲の人たちのそんなインタビューを聞くと悲しくなる。「誰か」を指差しできない、大声で助けを求められない、思い悩む子どもたち。自分やあなたの意識と行動で救いの手を差し伸べることができると常に認識しておけば、大切な人を守ることにつながる。 (賀)