炊き出しを行う梅の郷救助隊(能登町の能登中学校体育館で)

 1日に発生した石川県の能登半島地震で、6日に支援物資を乗せて6日から石川県能登町へ向かったみなべ町の民間災害ボランティア団体、紀州梅の郷救助隊(尾崎剛通隊長)の隊員6人が9日夜、みなべへ戻ってきた。10日朝、約2日間の活動を通して見た被災地の現状などについて、救助隊の隊員に話を聞いた。

 能登町は能登半島の北東部に位置。梅の郷救助隊では今回、みなべ町で梅ワーケーションに取り組む一般社団法人日本ウェルビーイング推進協議会の島田由香代表理事が能登町職員と知り合いで、その紹介で支援に向かうことができた。

 隊員らは6日午前7時にみなべ町役場を出発。高速道路を使って金沢まではスムーズに行けたものの、そこから能登街道を北上するにつれ景色が一変。通常、金沢市から能登町までは2時間程度で行けるが、5時間かかったという。能登町役場には午後7時前に到着。みなべ町役場などから託された水や食料、梅干しなどを届け、7・8日は能登町役場職員の指示を受けながら支援にあたった。

 能登町は輪島市や珠洲市に比べて被害は少なく、水道は止まっているが電気は使える。そのため自宅にとどまる被災者も多く、中には仕事に行ける人もいたという。避難所は3カ所あり、梅の郷救助隊は柳田地区にある体育館と能登中学校体育館の支援に入った。避難者は自宅の電気が使えない人たちで、多くは70~80代の高齢者だった。避難所での活動は体育館へ大量に寄せられた食料を袋に分ける作業が中心で、夜は避難者と一緒に炊き出しも行った。

 現地に向かった隊員の一人で、京都女子大学3年の前田明日香さん(21)は、活動を通して「避難所には食料が本当にたくさん届けられていて、それをさばく人が足りていない」と感じたが、現地は道路の状況や衛生環境も悪く、コロナやインフルエンザも流行っていることから、「とても個人のボランティアを受け入れられる状況ではなく、まずは環境が整わなければどうにもならないと思う」と話した。尾崎隊長(74)も「複雑な状況が絡みあい、被災地のニーズもつかみにくいと感じた」と振り返った。

 救助隊は再度現地に行く予定にしており、尾崎隊長は「能登町役場の職員から1月中にボランティアセンターの受け入れ体制を整えたいと聞いた。そこからまたもう一度、現地での支援活動に入りたい」と話した。