秋の褒章(3日付発令)受章者が発表され、県関係は黄綬6人、藍綬7人の13人と緑綬(褒状)1団体。うち日高地方は3人で、その道一筋に精励した人をたたえる黄綬に自動車整備業の業務精励で㈱紀陽自動車社長磯部宏氏(64)=美浜町和田=と、建築設計監理業の業務精励で㈱寺前則彦設計室代表取締役寺前則彦氏(66)=印南町西ノ地=。保護司の市ノ瀬晴夫氏(76)=日高川町千津川=は更生保護功績として、公共の利益に貢献した人をたたえる藍綬に選ばれた。

自動車整備業界の発展に力

1973年11月、父の急逝により大学を中退、帰省。同12月、御坊市名屋町で父が開業した、自動車整備・修理・販売㈱紀陽自動車前身の紀陽自動車商会に入社し、以来45年間、業務を通じて地域住民の生活に貢献してきた。

98年3月に法人化して代表取締役社長に就任するとともに、板金塗装作業場を増設。主に凹凸修理や線傷補修の「軽板金」だけでなく、専門業者に委託していた「重板金」を自社で行えるようにし、経営基盤を安定させた。コンピューター化にもいち早く対応。市内で最初に故障箇所の特定を短時間で行うことができる故障診断機を購入した。2013年10月にハイブリッド車やエコカーの点検・整備に不可欠なスキャンツール(外部故障診断機)を用いて点検・整備ができるコンピューター・システム認定店に市内で初登録されたのをはじめ、定期点検済ステッカーの交付台帳を基に毎月抽選を行い、キーホルダーや整備割引券を贈呈する「KIYO安全安心キャンペーン」を展開するなど独自の方法でサービスを向上。定期点検実施率の引き上げに一役買った。

(一社)県自動車整備振興会会長や県自動車整備商工組合理事長を務め、「自社だけ発展しても何の意味もない」をモットーに県内整備業界の地位向上に尽力。「お客さまに喜んでもらえるのが一番」といまも後継者の長男とともに現場で働く。受章には「身に余る光栄で周囲の皆さんのご協力のおかげ。これを励みに今後も精いっぱい頑張ります」。

安心の生活環境づくりに貢献

1974年3月に近畿大学理工学部建築学科を卒業し、近畿建築構造研究所を経て、76年9月に久保井建築設計事務所に就職。77年に1級建築士免許を取得し、この年の7月、同事務所の法人化と同時に代表取締役社長となった。97年に現在の㈱寺前則彦設計室へ改称。14年から取締役会長を務めている。

建築設計業務では、ふるさとで生活する高齢者が安心して余生を過ごせる施設づくりに情熱。91年に旧南部川村で特別養護老人ホーム梅の里、95年に旧中津村で特別養護老人ホーム白寿苑、00年に地元で特別養護老人ホームカルフール・ド・ルポ印南を手がけた。中山間地域の生活を守ることの大切さ、生活する住民が安心して暮らし続けることのできる環境づくり、地域を離れず生活できる施設づくりが、ふるさとの持つべき機能だと尽力。老人福祉施設のほか福祉センターや公共住宅、公共施設で実績を残している。

また、84年に県建築士事務所協会に入会して以来、88年に理事に就任。12年から副会長を務め、その間、建築士の役割と建築士事務所としての経営の健全化、それに伴う職業倫理の確立、建築士事務所の果たすべき役割について広報し、県内での業界のボトムアップに寄与。受章に「特別なことをしたという自覚はありません。皆さまのおかげできょうまでやってこられたものと感謝しています。これからも業界や協会をもり立て、裾野を広げられるように頑張りたい」と話している。

22年間、少年らの更生を支援

旧川辺町役場の収入役を務めていた1996年5月に川辺地区の保護司となり、約22年半(12期)務めており、現在も日高保護司会の副会長として活躍。罪を犯した人たちの精神的、社会的な支えとして社会復帰した際に幸福な人生を送れるよう献身的に活動している。

これまでに交通違反や窃盗などをした少年ら4人の保護観察を担当。1~2年間、毎月1回の訪問、2回の来訪で少年たちと接してきた。「最初は何も話してくれなかった子も少しずつ話してくれるようになります。悪いグループに入ったばかりに犯罪を犯しただけで、個人個人はみんないい子ばかりです。みんないろんなことに不満を持っている。それを正そうとするのでなく、常に気持ちをくんで寄り添うように接することを心がけています」と話す。

ある少女は会った当初は不良っぽい格好や顔つきをしていたが、少しずつ変わっていき、保護観察が終わって数年後に再会したときは結婚の報告もあり、幸せいっぱいの表情をしていたという。「きちんと更生して元気でやっている姿を見るととてもうれしいですね」とやりがいを感じている。

保護観察だけでなく社会を明るくする運動など啓発にも力を入れており、また地域交通安全活動推進員なども務め、社会に貢献。受章に「まさか受章できるとは思っていませんでしたが、これも協力していただいた多くの皆さまのおかげで、感謝しております。今後はこの章に恥じぬようさらに精進したい」と話している。