印南町文化協会が、印南町から離れて活躍した印南漁民の研究に力を入れている。 筆者も取材を通じて、 3人の漁民のことについて詳しくなった。
 1人目は比較的有名な角屋甚太郎。 江戸時代の前期 (1690年ごろ) に活躍した人で、 かつお節の始祖とも言われ、 土佐に渡ってカツオ漁を伝えたことも有名。 2人目は森弥兵衛。 江戸中期 (1707年ごろ) に鹿児島県の枕崎にかつお節製法を伝えた。 現在、 枕崎市はかつお節生産量日本一となっている。 3人目は江戸後期 (1780年ごろ) の印南与市 (土佐与市)。 土佐かつお節製造の名人で千葉県へ移民し製法を伝え、 千倉ではかつお節が一躍有名になり、 製法は房州各地にも広まった。
 文化協会ではこれまでに土佐、枕崎、千葉など、3人のゆかりの地を訪問。いずれの地でも墓が建てられるなど大切にされており、子孫がそれぞれの功績をしっかり守って受け継がれている。 文化協会の訪問も大いに歓迎された。 中でも枕崎では森弥兵衛の存在が大きく、 「いまの枕崎があるのは森弥兵衛のおかげ」 と感謝され、 中学生が劇にするくらいだったという。
 一方で、 3人が誕生した印南町であまり知られていないのが残念だ。 そういう筆者も角屋甚太郎以外の2人の存在は知らなかった。 地元の偉人の存在を知ることで郷土を誇りに思う心が育ち、 ふるさとへの愛着が深まる。 結果的に地域活性、 まちづくりへの参加意識が高くなる。 文化協会では3人の偉人を広めようと取り組んでいるが、 今後もさらに活動を続け、 多くの子どもたちに伝え、 自分たちの町を誇りに思ってもらいたい。(城)