昨年末、NHK総合「映像の世紀 バタフライエフェクト」を見た。サブタイトルは「ロックが壊した冷戦の壁」。東西冷戦の象徴的存在だったベルリンの壁崩壊について独自の斬り口で迫ったドキュメンタリーである◆番組の主眼は3人のミュージシャンが関わった東西冷戦終結への道だが、個人的にはそれ以前に、一つの映像に強烈な印象を受けた。それは1989年11月9日、誰も予期しなかった政府高官の失言によってベルリンの壁に2万人の市民が詰めかけた劇的な夜のことである◆現場がどれほど危険な状態にあったか、実際の映像と音声でよくわかった。市民と体制側の間で緊張が高まり一触即発、多くの人間の集結で将棋倒しの危機にも瀕していた。一つ間違えば流血の惨事が記録されたこの日付が、実際には一滴の血も流されず東欧の自由化への第一歩となったのは一人の人物の決断のおかげ。人々を自由から閉ざし続けた壁を開いたその人物の名は、国境警察官ハラルド・イェーガー。「このままでは犠牲者が出る」と、自身の責任において「ゲートを開け」と命じたのだ。のちに彼は、「人々があのような幸福感に包まれたのを見たのは、後にも先にもあの夜だけだ」と語った◆今月24日で、ロシアによるウクライナ侵攻開始から1年が経過する。当日のニュースの衝撃は今も忘れない。多くの人々が苦闘の末勝ち取った自由の上に世界は成り立っているのに、このあり得ないほどひどい歴史の歯車の逆回しは何なのか◆今月6日に発生したトルコ・シリア大地震の犠牲者が4万人を超えた。世界が注視する中、各国から支援の人材、物資が送られ、懸命の救出と医療活動が続けられている。国際社会が真に求めるものはいつの時も、連帯に尽きる。(里)