オウム真理教事件の死刑囚の刑執行と重なり、夏祭りの小学生ら4人が犠牲となった和歌山毒物カレー事件から20年、施設入所の知的障害者19人が殺害されたやまゆり園事件から2年が過ぎ、世間を騒がせた主役が再びクローズアップされている。

 事件をリアルタイムに知る世代として、ニュースを見ながら受けた衝撃、得体の知れない恐怖と不安が忘れられない。とくにオウムとカレーは、この日高地方でも勝手な噂が広がり、記者として振り回されたことを思い出す。

 オウムの元教祖ら13人の死刑囚の刑が執行された。政治の流行り言葉でいえば、完全かつ不可逆的な刑が執行されたいま、何をいっても取り返しはつかない。大量に同時執行されたことに一部批判の声もあがっているが、巷間、さほど関心は高くない。冤罪がなかったことを祈る。  

 国際社会では廃止が主流となりつつあるなか、死刑がどれほど凶悪犯罪抑止に効果があるのか。その根本的な議論は専門家も意見が分かれる。廃止派の大きな理由にはやはり、臓器移植の脳死判定の難しさと同様、無実の人を捕え、死刑囚にしてしまう冤罪の可能性が挙げられる。

 殺人などの凶行は自分だけが正しいと思い込み、追い込まれて逃げ場がなくなった人間によって、突発的に引き起こされることが多い。その瞬間、死刑がどれほどブレーキになるのか。逆に、死刑がなくなれば凶悪犯罪が増えるというのも十分了解できる。

 事件の被害者が多く、残忍であるほど、犯人に対する国民の怒りは大きく、捜査当局は一日も早く犯人を捕まえて起訴し、有罪、求刑通りの量刑を勝ち取りたい。冤罪をつくりあげる捜査員、検察官と真犯人。その狂気と視野の狭さはまったく同じであろう。(静)