力で政治的権力を奪おうとする行為をクーデターという。1936年、陸軍の皇道派と呼ばれる地方出身の青年将校たちが昭和維新を掲げて立ち上がり、「君側の奸」とみなす岡田啓介首相らを襲撃した。

 高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣らが殺害され、昭和天皇は自ら近衛師団を率いて乗り出す意向を示すほど激怒。陸軍幹部もようやく将校らを叛乱兵として鎮圧に動き、この二・二六事件は失敗、首謀者が銃殺刑に処された。

 2003年、小渕恵三首相の後を受けて発足した森喜朗内閣は、首相自らの失言などで支持率が急落した。野党が森退陣を叫ぶなか、首相の座を狙う加藤紘一元幹事長が盟友山崎拓氏と結び、野党の内閣不信任決議案に賛成する構えをみせた。

 議席数は与党が上回るも、加藤、山崎の両派が造反すれば不信任案は可決され、森首相は内閣総辞職か解散を余儀なくされる。いわゆる「加藤の乱」。一気に倒閣かと緊張が高まるも、野中広務幹事長が仲裁に乗り出し、不信任案は否決。騒動はわずか10日余りで幕を閉じた。

 先週末、ロシアの民間軍事会社トップのプリゴジン氏がプーチン大統領に反旗を翻した。部隊を率いて首都モスクワの200㌔手前まで進軍するも、突然、引き返し、クーデターは腰砕けに終わった。

 二・二六事件は失敗したが、その後は軍が政治を動かすファシズムが台頭し、無謀な対米開戦へとつながっていった。加藤の乱も、加藤氏自身は急速に政治家としての力を失い、自民党も分裂騒ぎで基盤が緩んだ。

 いまの時代、命を落とすことはないまでも、トップに盾突き、権力争いに敗れれば力も居場所も失う。県内もこのところ、政治の世界がきな臭いが、どうする?(静)

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