英語の「スポーツ」は、ラテン語「デポルターレ(deportare)」に由来する。この単語には「日々の仕事から離れた気晴らし」という意味がある。「遊んで、心を解き放つ」。それがスポーツの本質といえるだろう。だから、スポーツは仲間同士で楽しみ、人として成長させるということが本来の姿であるのかもしれない。しかし、近年は勝敗にこだわる勝利至上主義の風潮が強く、行き過ぎた指導やチーム内の暴力事件が発生することもある。

 今年1月、広島の広陵高校野球部で部員間の暴力やいじめが発覚。高野連は指導体制の問題として「厳重注意」の処分を下したが、出場停止などの処分は科せず、甲子園の出場資格を維持した。チームは開催中の夏の全国大会に出場。初戦を突破したが、2回戦を前に辞退。チーム全体として社会的責任を取る形となった。その後も指導者から暴言や暴力を受けたとする声も上がっている。ただ、まじめに部活動してきた部員たちにとってはあまりに重い決断で、堪えきれない仕打ち。汗水流して必死の思いでつかんだ甲子園の舞台を、やむなく手放すことになってしまった。

 勝利を目指すことは尊い。しかし、部員の人格までを否定するような行為はあってはならない。暴力が選手を育てるという考え方は時代遅れと言えるだろう。

 かつては「愛のムチ」「根性を叩き込む」「勝つためには仕方ない」といった言葉がまかり通り、指導における体罰が見過ごされていた時代もあった。仮にその発想が広陵高校の初戦の勝利につながっていたとしても、それはあまりに高すぎた代償と言えるだろう。スポーツの本質を今こそ見つめ直す必要がある。(雄)