
いまから80年前の1945年(昭和20)8月15日、日本と米国の戦争が終わりました。同年2月19日から始まった硫黄島の戦いは互いに死力を尽くした激戦で、日本は守備隊2万933人のうち95%の1万9900人が戦死・行方不明となるも、米国側の損害は戦死者6821人、負傷者2万1865人の計2万8686人に上り、その実数が日本側を上回った唯一の地上戦として知られています。
小笠原諸島南端の硫黄島は、日米どちらにも最重要拠点。日本軍は陸軍の栗林忠道中将の指揮下、島の地下に壕と複雑な陣地を張り巡らせ、徹底した持久戦を展開し、米軍が「5日で占領できる」とみていた戦いは5週間に及びました。
日本側は摺鉢山の形が変わるほどの艦砲射撃を受けながらも持ちこたえていましたが、衆寡敵せず。司令部壕内では海軍のトップが最後の突撃を前に、米国の大統領に宛てた手紙を認めました。本書のタイトルの「ルーズベルトに与ふる書」とは、予科練生みの親といわれた海軍の市丸利之助少将が突撃を前に書き上げ、ハワイの日系二世の三上弘文二等兵曹が英文に翻訳した書簡でした。
和文は村上治重通信参謀、英文は赤田邦夫航戦参謀が体に巻き、突撃する予定でしたが、直前に村上大尉が両方を身につけ、赤田中佐は負傷者であふれる壕内の後事を託され、最後は1人で敵機銃座に突進しました。書簡は市丸司令官の狙い通り、命と引き換えに、村上参謀の遺体から発見されました。
▽貴国は日本の真珠湾攻撃をプロパガンダの材料としているが、あなた方は日本が自滅から自らを救うために手段がなかったことを知っていたはずだ▽あなた方アングロ・サクソンは有色人種を犠牲にして世界の果実を独占している▽ヒトラーの政策を中傷しながら、世界全体の社会主義化を最終目標とするスターリンのソ連と協力していることは私の想像の域を超えている――。
書簡は辛辣に米国の欺瞞を突き、のちにマッカーサーが認めた通り、日本が自存自衛のために立ち上がった戦いであることを堂々主張しています。
いま、日本と米国は互いに最も重要なパートナーとなりました。あの戦争を美化する訳ではなく、「この島を一日守れば、家族と日本国が一日永らえる」との思いで戦ってくださった守備隊の皆様に、日本の一人として感謝と哀悼の誠を捧げたいと思います。ありがとうございました。(静)


