御坊市中央公民館で3日、御坊商工高校地歴社研部1986年度卒業OB会主催の戦後80年企画「今こそ語り継ごう日高大空襲」が開かれた。終戦直前の1945年(昭和20)6月22日、現在の御坊市と美浜町に63発の爆弾が投下され、一般市民ら80人が死亡。御坊では当時、日高高等女学校の生徒も犠牲となり、千葉県に住む同級生の花澤怜子さん(92)が参加し、自らの体験を通して無辜の市民が犠牲となる戦争の悲惨さを訴えた。

80年前の同級生の死やつらかった煙樹ケ浜の勤労動員を語る花澤さん

 地歴社研部OB会(前山輝代代表)はいまから40年前、当時の部の顧問だった元御坊商工校長の故中村隆一郎さん、小田憲さん(現事務局)らとともに日高地方各地の空襲被災地を訪ね、昭和20年6月の日高大空襲で逃げる途中に倒壊した家の下敷きになって亡くなった東(あずま)弘子さん(享年12)の家族らへの聞き取りを行い、1987年(昭和62)に調査記録をまとめた冊子を発行した。

 同じ年、弘子さんと同級生だった花澤さんが、御坊への疎開時に体験した日高大空襲の恐怖や煙樹ケ浜での陣地構築作業などのつらい体験を綴った手記「松籟(しょうらい)の林」が雑誌「ミセス」に掲載された。これがきっかけで、花澤さんは弘子さんの母静枝さんと手紙をやりとりするようになり、自ら絵を描いた紙芝居を制作。今回はOB会の招きで、花澤さんが長男の徹さん(54)とともに会に参加した。

 花澤さんは御坊市藤田町の親類宅に疎開し、昭和20年4月に日高高女へ入学したが、5月から終戦直前の8月10日まで毎日、煙樹ケ浜で米軍上陸に備えた陣地構築の作業に動員された。

 今回は約130人の参加者を前に、OB会の前山代表、小田さんと対談。煙樹ケ浜の動員作業は「友達とひそかに赤鬼、青鬼と名付けた教師に監視されながら、松林でモッコ(土砂運搬用の道具)に入れた土砂や砂利を運ばされ、身も心もボロボロでした。突然現れた艦載機に機銃を撃たれたこともあり、私たちが逃げ惑うのを面白がってたんでしょうが、私は四つん這いになって必死に逃げました」と恐怖を語り、空襲で亡くなった弘子さんについては「きれいな黒髪のおかっぱ頭で、ちょっと色が浅黒く、笑うとほっぺにえくぼができるかわいい女の子でした」と振り返った。