「また、会いましたね」。そう女優の仲間由紀恵は話しかけた。赤坂プリンスホテルの一室である。相手はJA対馬の職員、西山義治(四十四歳没。自殺)であった。

 この日はJAが主催する「LAの甲子園」とも呼ばれる優良外交員を表彰する日であった。(注・LAとはライフアドバイザーの略。内容は農協の損害保険や生命保険の外交員)

 仲間由紀恵は、JAのイメージキャラクターであった。毎年、前記ホテルで表彰式が行われ、全国一の成績を上げた外交員には仲間由紀恵から花束が贈呈されていた。その常連であった西山は、顔を覚えられるほどの超優秀な外交員だったのである。しかしそのセールス実績は虚構に紛れたものであった。その実態を暴いたのが本書である。

 著者の窪田氏は大学卒業後「日本農業新聞」に入社し、JA対馬の不正の取材に赴いたのだ。

 始まりは二〇一九年二月二十五日に起きた自動車の事故であった。漁港の岸壁から車が海に飛び込んだ。車を運転していたのはJA対馬の職員西山義治であった。死因は溺死。

 著者はこの事故に何か違和感を覚え取材に当たり始めたのだ。そして、そこで浮かび上がってきたのが西山やその他のJA職員による二十二億円を超える横領事件であった。西山はその不正の責任を取り自働車事故により自殺したのである。

 西山の横領の手口は、損害保険の請求において、架空請求や事故の捏造、借名口座や借名名義の数々。また、過去の台風被害写真の使い回しや捏造等、ありとあらゆる手法を使ってJAの共済金の不正受給を繰り返していたのである。しかし西山一人でこれだけ巨額の不正が出来るはずはなかった。対馬という離島の村社会だからなしえた不正ではなかったのかと著者は見る。

 対馬の人々は云う。「西山さんはいい人じゃ。この島じゃあ、あの人のことをわるく言う人は一人もおらんけん」。それもそのはず、島の人々の多くが、西山から過分な共済金を受け取っていたからである。それゆえ西山は(以下本文)、―西山は言葉巧みに自らを捜査し、周囲から「神様」や「天皇」などと、あまりに過剰とも思える呼び方をされるようになっていたのである。―
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。その典型がここにはあった。

 仲間由紀恵がこのことを知ったなら何と思うだろう、と筆者は思うのである。(秀)