1945年(昭和20)6月の「日高大空襲」から今年で80年。40年前に体験者の聞き取り調査を行った御坊商工高校地歴部・社研部1986年度卒業ОB会は8月3日、御坊市中央公民館で平和を考える集い「今こそ語り継ごう日高大空襲」を開き、体験者が制作した紙芝居を紹介する。同会は20日に記者会見を行い、代表の前山輝代さん(56)=御坊市出身、大阪市在住=、事務局で当時顧問だった小田憲さん(74)=由良町畑=は「私たちが知ったことを、次の世代に語り伝えなければと思います」と話した。

日高大空襲は1945年6月22日朝、美浜町浜ノ瀬で51人、御坊市名屋で21人、御坊市塩屋町の狼煙(のろし)山で兵士数人が爆撃の犠牲となった。40年前の1985年、御坊商工高校(現紀央館高校)の地歴部・社研部2年生は部の活動として、日高地方の空襲被害を調査。顧問だった故中村隆一郎さん(御坊市)、小田さんとともに北は由良から南は印南までの家々を訪ね、毎日のように体験者から聞き取りを行った。名屋の空襲では倒れた家の下敷きになって亡くなった日高高等女学校の東弘子さんのことを母の静枝さんから聞き、日高高生と一緒に構成詩劇「ヒロコ星」にも取り組んだ。卒業した87年夏、取り組みを「語り継ごう日高の空襲」として発刊した。
ほぼ同時期、東京出身で当時藤田村(現御坊市藤田町)に縁故疎開していた花澤怜子さん(92)=千葉県在住=が雑誌「ミセス」に、当時の体験をつづった「松籟(しょうらい)の林」を投稿。日高高等女学校に通っていた花澤さんは空襲当日、登校中にB29の爆撃の音を背に聞きながら日高川堤防に伏せて逃れ、その後、席が近く仲良しだった東さんが亡くなったことを知った。雑誌掲載を機に、花澤さんは静枝さんと手紙をやりとりし、その後、紙芝居「泣かなわりぃやろか―少女たちの戦争―」を制作。題名は、終戦の日に大人たちは泣いていたが自身はただ戦争が終わることに安堵し、同級生の「泣かなわりぃやろか」のつぶやきに共感を覚え、つけられたという。
会見には同会から前山さん、小田さん、当時部長だった大畑好史さん(56)=日高町=が出席。小田さんは昨年、千葉県に花澤さんを訪ねたことを話し、紙芝居のコピーから爆撃の瞬間や機銃掃射の恐怖を描いた絵を紹介して「事実を風化させず、次の世代に伝えることが大事。イベントを行う8月3日までに、犠牲となった方々全員の名を記した『紙上の墓碑銘』を作りたい」など話した。
「今こそ語り継ごう日高大空襲」は8月3日午後2時から4時まで、御坊市中央公民館大会議室で実施。紙芝居は、日高高校JRC部の部員が読み聞かせる。そのほか、花澤さんが語る動画、40年前に静枝さんが証言したテープの音声、花澤さんと静枝さんの往復書簡も紹介する。参加は無料。問い合わせは小田さん℡0738―65―3665。