

有田市辻堂の浄土宗鎮西派、稱名寺(しょうみょうじ)にある江戸時代中期に作られた来迎二十五菩薩立像から、制作費の一部を寄進したとみられる御坊町の「金谷⻆十郎」の名前が書かれた文書(9㌢四方)が見つかった。彫刻による二十五菩薩立像は全国的に珍しく寄進も相当な額だったと推察されるが、金谷⻆十郎の素性や寄進の経緯など、不明な点が多く、御坊にも縁がある菩薩像として、関係者が情報提供を呼びかけている。
有田市指定文化財の来迎二十五菩薩立像は文字通り25体の菩薩が雲に乗った様子を表現。高さは51・7~55・3㌢。寺の本堂は老朽化に伴う「平成の大修理」が行われ、二十五菩薩立像も修理されたが、その時に25体のうち7体の蓮台から1枚ずつ、願主(僧侶)とみられる「木食義春」と書かれた文書が発見された。この文書の裏面には制作費の寄進者とみられる名前が1枚に1人ずつ書かれており、うち1枚に「普賢菩薩 紀刕日高郡御坊町 金谷⻆十郎 享保五庚子歳 三月十六日」と記されている。
湯浅町教育委員会文化財保護担当の松井美香さんは以前、有田市の郷土資料館で勤務していた時に稱名寺の大修理に関わっており、二十五菩薩立像の寄進者が和歌山市や有田、御坊、古座など海沿いに広く分布していることに関心を持ち調査。廻船問屋だった人や鋳物師ら一部の寄進者については分かったが、金谷⻆十郎の情報はないという。かつて同寺の住職を務めた2人が、戦国時代に御坊平野を中心に勢力を誇った湯川一族だったことも分かっているが、湯川一族と金谷⻆十郎との関係性は不明。松井さんは「願主の木食義春も山口県萩出身だと分かっています。広い範囲にわたる人が関わった菩薩立像の制作にどんな経緯があったのか興味深いです」と話している。
現在、御坊市教育委員会の協力を得て、塩屋町南塩屋の歴史民俗資料館で、発見された7枚の文書と二十五菩薩立像のパネル写真を展示中。情報提供は市教委教育課℡0738―23―5525。

