

御坊市(名田町楠井)と印南町(印南原、津井)の境界に位置する標高240㍍の高城山(たかじさん)頂上付近に、戦国時代(15世紀後半~16世紀後半)の山城だったとみられる高城山城があったことが、発掘調査で初めて確認された。室町幕府奉公衆だった湯川氏重臣の四天王の1人とされる湊氏の居城とみられ、日高地方を治めていた権力者の勢力を考える上で歴史的な価値があるという。
高城山城の存在は江戸時代以降の書物「紀伊続風土記」や「日高鑑」で記述があるが、埋蔵文化財にも指定されていなかったため、御坊市と印南町の教育委員会が今年4月から発掘調査を行った。調査は全域を掘るのではなく、調査区(135平方㍍)を設定して試掘した。
その結果、城跡の頂上部に東西約30㍍、南北約20㍍の城の中心部となる主郭を置き、西側の尾根筋に敵からの攻撃を防ぐ岩盤を掘削した堀切(幅約5㍍、深さ約1・9㍍)、主郭部の北側から東側に攻撃などを行った場所と考えられる帯状の曲輪(くるわ)などが見つかった。曲輪付近では10~20㌢の石が集中して出土したことから斜面を駆け上がってくる敵に対して準備した投石だったと考えられている。
主郭部で掘立柱建物の柱穴(直径20~30㌢、深さ20~50㌢)が20基以上検出されたほか、遺物では土師器や備前焼、常滑焼などの水瓶、中国製の青磁・白磁などの高級品も出土。城主クラスが生活しており、儀式などが執り行われていたとみられる。城の区域ははっきりと確認されていないが、近くにある地蔵堂周辺の平坦部も城の一部だったと考えると、東西約70㍍、南北約230㍍規模となる。高城山城は1585年、豊臣秀吉の紀州征伐で滅ぼされたとされている。