鳥取市気高町内の共同墓地に建てられた供養塔を訪れ、手を合わせる比井の有志ら

 江戸時代に鳥取県鳥取市気高(けたか)町の浜村沖で海難事故に遭った廻船の犠牲者を供養しようと今月9日、船が所属していた比井廻船の本拠地である日高町比井の住民有志5人が、気高町浜村に建つ供養塔を訪れた。44年前に当時の気高町役場から日高町教育委員会へ届けられた古文書を手にしたのをきっかけに訪問の話が盛り上がり、気高町観光協会関係者らが歓迎。約250年前の縁から新たな交流を約束した。

 比井廻船は主に関西の酒を江戸に運搬。事故に遭った船は鳥取藩の蔵米を運んでいたという。1779年に発生した事故で船員11人が犠牲になり、気高町に「海死十一人塔」という供養塔が建てられた。事故後、浜村では長年、地域住民が犠牲者を追悼。1979年には二百回忌の法要が営まれ、今も供養が続けられている。81年には、1827年に浜村の住民が作成したとされる事故について記した古文書が、気高町役場から日高町教育委員会に送られ、犠牲者照会のため調査開始。当時の教育長や文化財保護審議委員が礼と墓参りにも訪ね、交流があったが、その後は途絶えていた。

 供養に訪れた比井の有志は、発起人の皿山守さん(77)、山中敏次さん(74)、中村昭さん(65)、山中雅嗣さん(48)、塩﨑貢さん(70)。44年前の古文書を手にしたのをきっかけに盛り上がり、塩﨑さんが気高町観光協会の河根裕二会長とやりとりし、訪問することになった。河根会長の案内で共同墓地を訪れ、読経の中、供養塔に手を合わせて冥福を祈った。

 日高町文化財保護審議会の塩﨑さんは「歓迎してもらえて感謝しています。この縁を生かして両町が交流できれば」と話し、河根会長も「これを機に新たな交流が始まってほしい」と期待。山中雅嗣さんは「供養塔はきれいにしてくれていました。ありがたく思うとともに、事故のことは聞いたことがあったが、本当だったんだなと実感できました」と振り返っていた。