先日の第172回芥川賞受賞作品をご紹介します。「ゲゲゲのゲーテ」を読んだことが記憶に新しいので、興味深く読みました。

 物語 高名なゲーテ学者、博把統一(ひろば・とういち)は、イタリア料理店での一家団欒のテーブルで、彼の知らないゲーテの名言と出会った。それはティーバッグの袋に英語で書かれ、「Love does Not confuse everything but mixes」。日本語にすると「愛はすべてを混乱させることなく、混ぜ合わせる」あるいは「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」。混淆するはジャムのように全部をつぶすように混ぜてしまい、渾然とするのはサラダのようにすべての形を保ったまま混ぜること。「ゲーテの夢―ジャムかサラダか―」という著書のある統一には興味深い言葉だが、しかし彼にはこの名言の出典がわからない。

 彼はこの言葉の正確な出どころを探し始める知的な「旅」に出る。思いつく限りのドイツ文学関係の知人82人に「この言葉に心当たりはありませんでしょうか」とメールを送信。

 彼はドイツで学んだ学生時代の友人、ヨハンがドイツのジョークを紹介した言葉をも思い出していた。曰く、「ドイツ人はね、名言を引用するとき、それが誰の言った言葉か分からなかったり、実は自分が思い付いたと分かっている時でも、とりあえず『ゲーテ曰く』と付け加えておくんだ。何故なら、『ゲーテはすべてを言った』から」。

 古今東西の文学者が次々登場、実にアカデミックな一作ですが、本書の何よりの魅力はその書きぶりの楽しさ。著者自身がこの壮大な知的ゲームをめいっぱい楽しんでいることが伝わってくるようです。文学の世界の昔と今が、著者の案内によって軽やかに融合していきます。古今の名言集を紹介する中に「ポケモン大事典」がさりげなく並んでいたり、「マカロニほうれん荘」という作品名が表現の例として登場する当たり、同時代性を感じるとともに著者の守備範囲の幅広さがうかがわれます(水木しげる著「ゲゲゲのゲーテ」についてもちゃんと言及されていました)。本書のストーリーの核となる「名言」は、すべての色を混ぜ合わせるとグレーになり、混ぜてしまわず並べると虹のように美しい色彩の集合となるという真理を含み、象徴的です。日本の文学シーンに新たに加わった若い才能が、このような明るい志向性を持ったものであることを祝いたい気分になりました。   (里)