
十返舎一九、曲亭馬琴、式亭三馬が如何にして世に出たか。虚構を交えながら江戸文学の爛熟期を描いたのが本作品である。その中心にいたのが蔦屋重三郎だ。すでに日本橋で地本問屋を営んでいた。そこへ戯作者志望の近松弥七が大坂からやってくる。蔦重は弥七に山東京伝を紹介した。京伝は云う。
「戯作などというものは、教えるべきものでもなく、学んでどうなるというものでもない。ただひとつ確かなことは、戯作では食べていけません」。
そんなとき、向島の材木問屋の若旦那栄次郎が戯作者になりたいと申し出てきた。蔦重が栄次郎の書いた戯作を見てみると箸にも棒にも掛からない。しかし栄次郎には「金」があった。金にまかせて戯作者への道を手助けしてくれと云う。栄次郎は、有名戯作者の生活をことごとく真似をした。戯作者が勘当されたといっては自分も勘当してもらう。しかし親元からは生活費が送られてくる。戯作者が遊郭へ入り浸ったといえば自分も吉原へ入り浸る。風紀を乱すとして戯作がお上の逆鱗に触れ、作者が手鎖の刑を受ければ自分も逆鱗に触れたと計らって手鎖刑。そして最期は遊女と手鎖心中の狂言。しかしこれが失敗して本当に死んでしまう。作家になりたい人の哀れな人生を軽妙に描いて第六十七回の直木賞受賞作である。
十返舎一九は「お上の埒外のところで、笑いも色も抜きで、すこしでも自分のやりたいことを見つけていく、それしか、もの書きの道はない。戯作とは机の前の地獄に座って生まれるものだ」、と作中で呟いている。(秀)