あれから30年も経つのかと、月日の流れるスピードに驚かされるが、当時の記憶は鮮明だ。阪神・淡路大震災が発生したのが1995年1月17日。二十歳目前の大学生、友達はみんなワンルームマンションに住んでいたが、筆者の住まいは大阪の築年数の古い2階建て文化住宅の1階。本当に激しい揺れに目が覚めた。いま振り返っても、経験した中で一番激しい揺れだった。
布団の中で左右に揺さぶられるような感覚、「絶対に2階が落ちてくる」と思った。布団を頭からかぶり込み、ただただ「早く止まってくれ」と心の底から祈ったのをはっきり覚えている。今は揺れたら自分の身を守るシェイクアウトなどとよくいわれるが、とっさに行動できるだろうかと自問してしまう。住んでいた地域の震度はたしか5だった。あれで5なのだから、最大震度7を観測した地域の揺れは正直、想像しただけで怖くなる。
テレビ報道で、当時を振り返る住民の声を聞いた。ある男性は、火災で大きな被害が出た地域で「家族を助けようとする人を止めることしかできなかった」との言葉に涙が出た。倒壊した家屋から声だけが聞こえ、火の手が迫っていても助けることも火を消すこともできなかったという。胸が締め付けられるが、これが自然災害のリアルなのだと感じた。
南海トラフ地震の被害が予想される当地域。発生確率は30年以内に80%程度と引き上げられた。いつ発生してもおかしくないということ。四六時中地震のことを考えて生活するわけにはいかないが、いつどこで起こっても、ほんの少しでも冷静に行動できるよう、地震は起こるものだと心のどこかに置いておいたほうがいい。(片)