
今年のNHK大河ドラマは「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺」。原作ではありませんが、主人公の蔦屋重三郎を描いた小説をご紹介します。
物語 江戸は日本橋、地本問屋の豊仙堂。主人の丸屋小兵衛は寄る年波に勝てず、店仕舞いをしようとしていた。何もかも売り払ってがらんとした店内で一人坐っていると、若い男が暖簾を分けて入って来た。ほとばしるような才気を見せるその男は、毎年二十両払うから、雇われ人となって自分を手伝ってくれという。
「一緒にやりませんか。もう一度、この世間をひっくり返しましょうよ」
その男こそ吉原随一の地本屋、飛ぶ鳥落とす勢いの蔦屋重三郎だった。小兵衛には昔、まだ読本が白黒印刷しかできなかった時、職人や摺師に頭を下げて奮闘してもらい、工夫を重ねて紅色印刷を可能にしたという実績がある。それを見込んでの蔦屋の申し出だった。
「もう一度、世間をひっくり返す」
心を動かされた小兵衛はその後の人生を、蔦重という不思議な魅力を持ったつかみどころのない男に託すことになる…。
この時代、江戸時代後期に江戸で花開いた「化政文化」は、江戸前期に上方で花開いた華麗で人情味のある「元禄文化」とは違い、派手さよりも渋好み、物事を斜めから見る風刺のきいた粋な文化です。戦なき世という点では平安時代と共通しますが、華やかな貴族文化の花開いた時代よりも、こちらの方が令和の世には近いものがあります。
本書には田沼意次は登場しません。さらに視点は蔦屋重三郎からではなく、親子ほども年の違う商売上の相棒・丸屋小兵衛から。NHK大河とはいろいろ様相が違いますが、あまり一般に知られていない「蔦重」という人物の輪郭をつかむには格好の一冊。粋で気の優しい、愛すべき人物として描かれます。
喜多川歌麿や大田南畝ら当時の文化人の本をどう出していくかという企画会議を吉原で行うあたりの描写は、「お仕事小説」のようで楽しい。しかし寛政の改革によって、時代の空気は一挙に硬化していきます。その展開の丁寧な描写は、自由にもののいえる開明的な空気、それを許す寛容な空気が健康な社会には何より必要なのだと現代にメッセージを送っているようです。
あとがきでは、蔦重に「天職を見つけて働く人間の清々しさ」を見た、とあります。悲劇を含みながらも、清々しい読後感でした。 (里)