12月のテーマは「鍋」。「食」に関心の高い作家の長編をご紹介します。
 「水のかたち」(宮本輝著、集英社文庫)
 50代に突入した主婦志乃子を主人公に、さまざまな出会いから人生の新たな局面が開いていくさまを描く物語。
 極上の松阪牛ですき焼をつくる場面から。

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 まず、すき焼き用に特注した厚い鉄鍋を熱し、そこに牛脂の塊を入れて脂をひく。そして、大匙に三、四杯のグラニュー糖を入れ、それがやや狐色に変わるまで待って、すき焼き肉の大きな一枚を加える。しかし、この一枚はいわば捨て肉なのだ。生贄といってもいい。グラニュー糖がカラメル状になるとともに、生贄の肉の脂とうま味が、鉄鍋にひいた牛脂と交じり合っていく。そうしたら生贄の肉を取り出し、食べるための肉を入れて醤油と酒で味付けし、七分ほど火の通ったところで、溶き卵につけて食べるのだ。

「こんな凄いお肉を、一枚生贄にして捨てちゃうんですか? 私が食べます。生贄を食べる生贄になるっす」と早苗は真顔で言った。