1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに、災害時の人命救助等を行おうと結成されたみなべ町の民間ボランティア団体「紀州梅の郷救助隊」。東日本大震災など全国の災害現場に駆け付け、人命救助、がれき撤去、物資の仕分け、炊き出しなどすでに50回以上出動して支援活動を展開している。災害ボランティアとして活躍する人は全国にたくさんいるが、同救助隊の特徴の一つは、現地の人との交流を大事にして、一過性で終わらず長くつながりを持っていること。尾﨑剛通隊長のモットーでもあり、いまも全国各地の人々と交流を続けている。

 能登半島地震では、発災から5日後に現地入りした。県外からのボランティアはまだ受け付けていなかったときだが、尾﨑隊長が培った人脈で能登町に直接連絡を取り、梅の郷救助隊ならと受け入れてもらった経緯があるという。自己責任で、経験をもとにした実効性のある活動、なにより現地の方々の負担にならないよう、そして現地の人の心に寄り添う活動を続けているからこそで、構築したネットワークは今も全国に広がっている。まさに和歌山県の誇りであるといえる。

 能登町の活動がきっかけでまた新たな交流が生まれ、同町職員が個人的にみなべ町を訪れて、支援に感謝したのは既報の通り。救助隊の活動が多くの人に勇気を与えていることをあらためて知る機会になった。尾﨑隊長からは南海地震が起きれば助けてもらう身、たくさんの人とつながることは自分たちが被災したときの復興の一助になると何度も聞かせてもらった。どれだけ備えても自然の猛威はいつも想像を超える。いざという時に助けてくれるのは人であり、温かい気持ちだ。(片)